実績
プロフィール
代表者・中小企業診断士・資金調達コーディネーターⓇ
上野 光夫(Mitsuo Ueno)
経 歴
- 1962年9月 鹿児島県鹿児島市生まれ
- 1981年3月 鹿児島県立甲南高校卒業
- 1985年3月 九州大学経済学部経営学科卒業
- 1985年4月 国民金融公庫(現日本政策金融公庫国民生活事業)入庫 26年間在籍
- 2011年4月 経営コンサルタントとして独立開業
得意分野・強み
- 金融機関の融資審査に関する知識(約5万社の審査を担当)
- 起業支援
- マーケティング
- 資金調達コンサルティング
- 債権管理に関する知識(管理交渉・法的手続きによる回収等)
- 事業再生支援
- 社員の教育、研修
- クレーム処理
趣 味
- 筋トレ
- 人と飲みに行くこと
中小企業への融資一筋26年間
私は、1985年に国民金融公庫(現在の日本政策金融公庫 国民生活事業)に入庫して以来2011年3月31日に退職するまで、26年間勤務しました。
定年退職ではなく、48歳で経営コンサルタントとして独立開業することにしたのです。
新人時代は「出来が悪いヤツ」と言われて、上司から怒られてばっかりでした。
でも「なにくそ」と思ってがんばり、3年目から中小企業へのご融資の審査を担当し、それ以降退職までなんとか悔いなく過ごすことができました。
日本政策金融公庫(日本公庫)は全国転勤の会社なので、各地(宮崎、大阪、東京、香川、鹿児島、福岡)の支店や本店を転々としました。
「所変われば品変わる」ということわざがありますが、まさしくその通りです。
各地域で言葉の違いはもちろんのこと、商慣習などの違いも感じました。
主に担当した仕事は中小企業へのご融資の審査で、「融資課長を8年間」という長い期間に渡って勤めました。
「融資課長を8年間」というのは、日本公庫の中でもギネスブック級の記録(?)ではないかと自負しております。
私は、各地でご融資の仕事をするうちに、約3万人の中小企業の経営者と接することができ、それぞれの経営者から多くのことを学ばせていただきました。
「創業資金を借りやすくする方法」については、日本一知識が豊富だと自負しています
とりわけ私が積極的に取り組んだのが、「創業資金」(これから起業する方あるいは起業して間もない方へのご融資)です。
一般的に「創業資金」はリスクが高いので民間の金融機関は積極的にはなれない融資ですが、政府系金融機関である日本公庫は、毎年約1万8,000社への「創業資金」をご融資しています。
日本公庫は起業支援サイト「起ちあがれニッポン DREAM GATE」とも提携しており、「日本政策金融公庫ドリームゲートプラザ」というサイトも開設しています。→http://financing.dreamgate.gr.jp/
起業はやってみなければ成功するかどうか分かりません。
ですから、「この起業家へ融資をして返済できるかどうか」ということを判断するのは、とても難しいものです。
私はこれまで5,000人の起業家へのご融資に携わりました。
とくに融資の責任者という立場で、日々悩みながら「創業資金」の審査判断を行ってきたのです。
私は、長年に渡って「創業資金」の融資に真剣に向かい合ってきたので、そのノウハウについては誰にも負けないという自信があります。
ですから、「創業資金を借りやすくする方法」については、日本一知識が豊富であると自負しています!
安定した職を捨てて独立した理由
「日本政策金融公庫を辞めて独立しました」と言うと、「いったい何をやらかしたの?」などと聞く人もいます (-_-;)
確かにこんな時代に、安定した職を捨ててあえて独立するということは、一般の人からは理解されにくいかもしれません。
私は平成6年に中小企業診断士の資格を取得して以来、「いつかは経営コンサルタントとして独立開業したい」という夢を持ち続けていました。でもその後も、日本公庫での仕事に大きなやりがいを感じていたため、すぐには実行しませんでした。
しかし、勤務年数20年を超えた頃から・・・
「中小企業に融資を通じて支援するだけでは限界がある。コンサルタントになって、もっと突っ込んだ支援がしたい」
とか
「起業家に融資することだけではなく、事業を成功させるためのアドバイスをしたい」
といった思いが強くなってきました。
また、日本公庫は「創業資金」を多くの起業家に融資しなければならないのに、融資を受けたいと思っている起業家の事業計画の問題や、プレゼンテーションの面の問題から、結局「融資することができない」という結果が多いことに気付きました。
つまり
融資したいと思っている金融機関と、融資を受けたいと思っている起業家との間に、「ミスマッチ」が生じているのです。
起業家が融資を受けようとする場合は、「融資する側がどんなポイントをチェックして審査するのか」ということをよく把握したうえで、用意周到な準備をして申請する必要があります。
でも、私は日本公庫に勤めている間は、「こうやったら借りやすいですよ」ということについては、表面的なことは伝えられても、「本音」の部分は言えないことが多かったのです。
なぜなら、そういう「本音」を話すのは、日本公庫の企業秘密とも言える審査のノウハウを暴露することにもなりかねず、問題があるからです。
そこで、私は日本公庫からスピンアウトして、コンサルタントの立場から、起業家の方々が資金調達をしやすいように、「本音」のアドバイスをしようと思い立ちました。
私自身も起業家となったので、起業家と同じ立場から、強力にバックアップしたいと思います。
起業塾を始めようと思った理由
私が「いつか起業したい」と思い始めたのは31歳の頃です。
しかし、自分の能力に自信がなく、また会社の仕事もそれなりに楽しかったため、そのまま年月が経過しました。その間、ずっと「起業したい」という思いはあったものの、何一つ具体的な行動を起こしていませんでした。
ところが、あるときショッピングセンターの駐車場で車の中でうとうとしていたときのことです。
天から声が聞こえてきました。
「いつまでうじうじと考えているんだ。早く実行しないと、後で後悔するぞ」
はっとした私は、その瞬間に「よし、2011年4月1日に起業するぞ!」と決意できました。
それから自信のなさをカバーすべく、起業準備を真剣にやりました。具体的には、「起業」「独立外業」「創業」といった本を片っ端から読み、もちろんネット情報もあさりました。当時は起業に関する本はあまりなかったのですが、本屋で買うほか、図書館からも借りるなどして、多くの本を読みました。また、儲かってそうな経営者やコンサルタントへ直接会いに行ったこともしばしばありました。
起業準備をしている間、私がやっていたのはノートを書いていくことです。起業の準備過程のほか、ビジネスのアイデア、マーケティングのアイデアなど、なんでもかんでも書いていました。そのノートが私の書籍のタイトルにもなった「起業ノート」です。「起業ノート」は、今でも振り返って読むことがあります。当時考えていたアイデアは、ほとんどが使えない代物でしたが、中には「あっそうか。この手があるか」とヒントをくれるものもあります。
「起業ノート」を書く方法は、どなたでも楽しみながらできる起業準備だと確信しています。起業を実現できるのはもちろんのこと、実際に起業した後も、あなたを助けてくれる存在になると思います。
私は自分自身の起業経験、起業支援をしてきた経験から、「起業ノート」を書きながら着実に起業力をつけていただける起業塾を開講することを決意しました。